分類5脳の物理的な障害・圧迫10分で読めます医師査読済 · 2026年6月

正常圧水頭症とは?

脳脊髄液が溜まる、治療で改善可能な認知症

この記事は一般的な知識提供を目的としており、個別の診断や治療の代わりになるものではありません。気になる症状がある場合は、医療機関にご相談ください。

「受診すべきか迷っている」「診断結果を聞いたが理解できない」という段階の疑問を、認知症を専門とする医師が丁寧に回答します。

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体験談・具体的な事例

平野勝男さん(仮名・78歳)の変化は「歩き方」から始まりました。 妻の友子さんが最初に気づいたのは 2 年前の秋でした。散歩に出ようとした勝男さんが玄関を出たとたん、まるで床に足がくっついてしまったかのように、一歩目が出なくなったのです。「どうしたの?」と声をかけると「なんか足が動かない」と言いながら、小刻みなすり足でゆっくり歩き始めました。つまずきはないのですが、足を床から上げないため靴音がほとんどせず、まるでスケートをするように進みます。友子さんは「磁石に吸い寄せられているみたい」と表現しました。 数ヶ月後、今度はトイレが間に合わなくなりました。急に尿意を感じて慌てるのですが、歩くのが遅いため間に合わず失禁してしまう。勝男さんは恥ずかしがって一人で処理していましたが、友子さんが洗濯物で気づきました。物忘れも目立ち始め、昨日見たテレビの内容を思い出せない、同じことを何度も確認する、という場面が増えました。「歳のせいかな」と二人で納得しようとしていましたが、友子さんの頭の中には「このまま寝たきりになってしまうのでは」という不安が育っていました。 内科で相談すると神経内科に紹介され、そこで初めて MRI を撮りました。画像を見た担当医が「脳室が大きく広がっています」と説明しました。通常より数倍に膨らんだ脳室の様子を見ながら、「正常圧水頭症(NPH)の可能性が高い」と告げられました。さらに担当医は「もしかすると治療で症状が改善するかもしれません」と続けました。友子さんは思わず「え、認知症が治るんですか」と聞き返しました。 次に行われたのがタップテストでした。腰に細い針を刺して脳脊髄液を約 30mL 抜き取る処置です。「30mL といえばお猪口2杯分ほど」と担当医が説明してくれました。処置前と処置後に歩行を評価すると——翌日の朝、勝男さんはすたすたと廊下を歩いていました。速度が明らかに速く、足の上がりが違います。「足が軽い!」と勝男さん本人が驚きました。こうしてシャント手術の効果が期待できると確認され、脳室腹腔シャント術(VP シャント)を受けることになりました。 手術は約 2 時間で終わりました。頭部と腹部に小さな切開を置き、脳室から腹腔へとつながるシリコン製のチューブを埋め込む手術です。術後 2 週間で退院した勝男さんの歩き方は見違えるようで、友子さと一緒に病院の廊下を歩いてみせました。失禁も週に 1 回程度にまで減りました。「昨日の夕ご飯、何食べたっけ」という言葉も戻ってきました。 手術から 1 年半が経った今も、勝男さんは月 1 回の外来でシャントの圧調整を行いながら、週 3 回近所のスーパーへの買い物を欠かしません。「手術する前は、もう一人で買い物なんて無理だと思っていた」と友子さんは言います。「歩けることが、こんなに大事なことだとは知らなかった」。

基礎知識の解説

正常圧水頭症とは

特発性正常圧水頭症(iNPH: idiopathic Normal Pressure Hydrocephalus)は、脳脊髄液の吸収障害によって脳室が拡大し、周囲の神経回路が圧迫されることで生じる疾患です。「歩行障害・認知機能障害・尿失禁」の三徴(Hakim の三徴)が特徴で、脳室腹腔シャント術(VP シャント)によって症状が改善する「治る認知症」の代表例として広く知られています。60〜80 歳代に多く、MRI による有病率調査では 70 歳代の約 1〜3%に存在するとされます。アルツハイマー病・パーキンソン病との合併も多く、これらとの鑑別と合併の評価が重要です。

主な症状

  • 1歩行障害(三徴の中で最初に現れることが多い):小刻み歩行・すり足・足を床から上げない磁気歩行(magnetic gait)・歩行開始困難(freezing)
  • 2方向転換の困難(くるっと振り返ろうとすると転倒しやすい)
  • 3認知機能障害:注意力・実行機能・処理速度の低下が目立ち、記憶障害は比較的軽度な傾向
  • 4精神運動速度の低下:反応が遅い・動作がゆっくり
  • 5尿失禁:急迫性尿失禁(トイレに間に合わない)・頻尿(遅い歩行との組み合わせで失禁しやすい)
  • 6表情の乏しさ・抑うつ傾向
  • 7歩行障害が単独で始まり、認知症・尿失禁が後から加わるパターンが多い
  • 8腰痛・頸部痛を伴う場合は脊柱管狭窄症との合併に注意

症状の進行

発症期(診断前)半年〜数年
  • 歩き方がゆっくりになる・小刻みになる

  • 一歩目が出にくい(すくみ足)

  • 方向転換のときにふらつく

  • 頻尿・トイレが間に合わないことが増える

進行期(未治療)診断から治療まで
  • すり足・磁気歩行(床に吸い付くような歩行)が顕著に

  • 転倒が増える

  • 尿失禁が日常的になる

  • 記憶力・注意力の低下、反応の遅さ

  • 表情が乏しくなる・意欲が低下する

シャント術後手術後〜
  • 歩行速度・歩幅の改善(最も改善しやすい)

  • 尿失禁の頻度が減少

  • 認知機能の部分的な改善(記憶・注意)

  • シャント機能不全・過剰排液には定期フォローアップが必要

※ 進行速度・症状の現れ方は個人差が大きく、必ずしも順序通りに進むとは限りません。

原因・メカニズム

脳脊髄液(CSF)は脳室内の脈絡叢で産生(1日約 500mL)され、くも膜顆粒(主にサグマタール静脈洞周囲)で吸収・循環します。iNPH ではくも膜顆粒での吸収能が低下し、CSF が脳室内に蓄積して脳室が拡大します(側脳室・第三脳室が優位に拡大、Evans 指数 > 0.3)。拡大した脳室が内側を走る神経線維束(運動野・補足運動野から脊髄へ向かう錐体路、排尿を制御する白質線維)を内側から機械的に圧迫し、歩行・排尿・認知機能の障害が生じます。脳表(特に高位円蓋部)での CSF の貯留が乏しく、シルビウス裂周囲に CSF が偏在する所見(DESH: disproportionately enlarged subarachnoid-hydrocephalus)が MRI 特徴として重視されます。二次性 NPH(くも膜下出血・外傷・髄膜炎後)と特発性に分類されます。

診断

2020 年改訂の「特発性正常圧水頭症診療ガイドライン 第3版」(日本正常圧水頭症研究会)に基づいて診断します。

画像

MRI で ① Evans 指数 > 0.3(側脳室最大幅 / 頭蓋内最大幅)② DESH 所見(シルビウス裂の開大と高位円蓋部での CSF 貯留減少)の両者を確認します。脳脊髄液 flow void(MRI 正中矢状断で第三脳室底〜水道の CSF 拍動亢進)も補助的に評価します。

タップテスト(腰椎穿刺試験)

外来または入院で腰椎穿刺を行い CSF を 30〜40mL 排除します。処置後 24〜48 時間以内に歩行速度・歩数などを定量評価(TUG テスト等)し、10% 以上の改善をもってタップテスト陽性とします。陽性の場合はシャント手術の有効性が高く予測されます(感度 26〜61%、特異度 83〜100%)。

除外診断

脊柱管狭窄症・末梢神経障害・パーキンソン病などの歩行障害原因を除外します。

治療・ケア

脳室腹腔シャント術(VP シャント)が第一選択です。頭部に小切開を置いてカテーテルを脳室に刺入し、皮下を通して腹腔まで誘導することで余剰な CSF を排出します。圧可変式バルブ(プログラマブルバルブ)により体外から磁石で排液圧を調整できます。

腰椎腹腔シャント術(LP シャント)は開頭不要の代替選択肢で、高齢者・開頭リスクの高い患者に適用されます。

改善が期待できる症状の順番

歩行障害 > 尿失禁 > 認知機能障害(この順に改善しやすいとされる)。

手術リスク

感染(1〜5%)・シャント機能不全・硬膜下血腫・過剰排液(頭痛・頭蓋内低圧)。術後も年 1〜2 回の画像フォローアップと圧設定確認が必要です。

病期が進む前の早期手術が鍵

認知機能障害が重度になる前に手術すると改善率が高く、三徴が揃う前の歩行障害単独の段階での診断・手術が理想的です。

予後・経過

タップテスト陽性例へのシャント術では術後 50〜80% の患者で歩行の改善が見られます。認知機能障害・尿失禁の改善率は歩行に比べてやや低め(30〜60%)です。シャント術の効果は数年にわたって持続する場合がある一方、5〜10 年後にシャント機能不全・感染・再発により再手術が必要となることがあります。アルツハイマー病などの変性認知症を合併している場合は改善率が低下します。手術せず経過観察のみでは症状は進行するため、適応がある場合は早期に手術を検討することが重要です。

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本記事は神経内科・精神科医師 Koba MD, PhD による監修・査読を経て公開しています。 査読日: 2026年6月

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公開日:

参考文献

  1. [1]日本正常圧水頭症研究会特発性正常圧水頭症診療ガイドライン 第3版メディカルレビュー社 (2020)
  2. [2]Mori E, Ishikawa M, Kato T, et al.Guidelines for management of idiopathic normal pressure hydrocephalus: Second editionNeurol Med Chir (Tokyo) (2012)
  3. [3]Relkin N, Marmarou A, Klinge P, Bergsneider M, Black PMDiagnosing idiopathic normal-pressure hydrocephalusNeurosurgery (2005)
  4. [4]日本神経学会認知症疾患診療ガイドライン2017医学書院 (2017)

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