分類5脳の物理的な障害・圧迫7分で読めます医師査読済 · 2026年8月25日

正常圧水頭症とは?

脳脊髄液が溜まる、治療で改善可能な認知症

Yuya Kobayashi, MD, PhD

医療監修

Yuya Kobayashi, MD, PhD

認知症専門外来・在宅診療医

この記事は一般的な知識提供を目的としており、個別の診断や治療の代わりになるものではありません。気になる症状がある場合は、医療機関にご相談ください。

「受診すべきか迷っている」「診断結果を聞いたが理解できない」という段階の疑問を、認知症を専門とする医師が丁寧に回答します。

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体験談・具体的な事例

「歳のせいかな」と諦めかけていた妻が、手術で歩けるようになった夫の変化に驚いた話。

勝男さん(仮名)の変化は「歩き方」から始まりました。 妻の友子さんが最初に気づいたのは 2 年前の秋でした。散歩に出ようとした勝男さんが玄関を出たとたん、まるで床に足がくっついてしまったかのように、一歩目が出なくなったのです。「どうしたの?」と声をかけると「なんか足が動かない」と言いながら、小刻みなすり足でゆっくり歩き始めました。つまずきはないのですが、足を床から上げないため靴音がほとんどせず、まるでスケートをするように進みます。友子さんは「磁石に吸い寄せられているみたい」と表現しました。 数ヶ月後、今度はトイレが間に合わなくなりました。急に尿意を感じて慌てるのですが、歩くのが遅いため間に合わず失禁してしまう。勝男さんは恥ずかしがって一人で処理していましたが、友子さんが洗濯物で気づきました。物忘れも目立ち始め、昨日見たテレビの内容を思い出せない、同じことを何度も確認する、という場面が増えました。「歳のせいかな」と二人で納得しようとしていましたが、友子さんの頭の中には「このまま寝たきりになってしまうのでは」という不安が育っていました。 内科で相談すると神経内科に紹介され、そこで初めて MRI を撮りました。画像を見た担当医が「脳室が大きく広がっています」と説明しました。通常より数倍に膨らんだ脳室の様子を見ながら、「正常圧水頭症(NPH)の可能性が高い」と告げられました。さらに担当医は「もしかすると治療で症状が改善するかもしれません」と続けました。友子さんは思わず「え、認知症が治るんですか」と聞き返しました。 次に行われたのがタップテストでした。腰に細い針を刺して脳脊髄液を約 30mL 抜き取る処置です。「30mL といえばお猪口2杯分ほど」と担当医が説明してくれました。処置前と処置後に歩行を評価すると——翌日の朝、勝男さんはすたすたと廊下を歩いていました。速度が明らかに速く、足の上がりが違います。「足が軽い!」と勝男さん本人が驚きました。こうしてシャント手術の効果が期待できると確認され、脳室腹腔シャント術(VP シャント)を受けることになりました。 手術は約 2 時間で終わりました。頭部と腹部に小さな切開を置き、脳室から腹腔へとつながるシリコン製のチューブを埋め込む手術です。術後 2 週間で退院した勝男さんの歩き方は見違えるようで、友子さと一緒に病院の廊下を歩いてみせました。失禁も週に 1 回程度にまで減りました。「昨日の夕ご飯、何食べたっけ」という言葉も戻ってきました。 手術から 1 年半が経った今も、勝男さんは月 1 回の外来でシャントの圧調整を行いながら、週 3 回近所のスーパーへの買い物を欠かしません。「手術する前は、もう一人で買い物なんて無理だと思っていた」と友子さんは言います。「歩けることが、こんなに大事なことだとは知らなかった」。

基礎知識の解説

正常圧水頭症とは

特発性正常圧水頭症(iNPH: idiopathic Normal Pressure Hydrocephalus)は、脳脊髄液の吸収障害によって脳室が拡大し、周囲の神経回路が圧迫されることで生じる疾患です。「歩行障害・認知機能障害・尿失禁」の三徴(Hakim の三徴)が特徴で、脳室腹腔シャント術(VP シャント)によって症状が改善する「治る認知症」の代表例として広く知られています。60〜80 歳代に多く、MRI による有病率調査では 70 歳代の約 1〜3%に存在するとされます。アルツハイマー病・パーキンソン病との合併も多く、これらとの鑑別と合併の評価が重要です。

主な症状

  • 1歩行障害(三徴の中で最初に現れることが多い):小刻み歩行・すり足・足を床から上げない磁気歩行(magnetic gait)・歩行開始困難(freezing)
  • 2方向転換の困難(くるっと振り返ろうとすると転倒しやすい)
  • 3認知機能障害:注意力・実行機能・処理速度の低下が目立ち、記憶障害は比較的軽度な傾向
  • 4精神運動速度の低下:反応が遅い・動作がゆっくり
  • 5尿失禁:急迫性尿失禁(トイレに間に合わない)・頻尿(遅い歩行との組み合わせで失禁しやすい)
  • 6表情の乏しさ・抑うつ傾向
  • 7歩行障害が単独で始まり、認知症・尿失禁が後から加わるパターンが多い
  • 8腰痛・頸部痛を伴う場合は脊柱管狭窄症との合併に注意

症状の進行

発症期(診断前)半年〜数年
  • 歩き方がゆっくりになる・小刻みになる

  • 一歩目が出にくい(すくみ足)

  • 方向転換のときにふらつく

  • 頻尿・トイレが間に合わないことが増える

進行期(未治療)診断から治療まで
  • すり足・磁気歩行(床に吸い付くような歩行)が顕著に

  • 転倒が増える

  • 尿失禁が日常的になる

  • 記憶力・注意力の低下、反応の遅さ

  • 表情が乏しくなる・意欲が低下する

シャント術後手術後〜
  • 歩行速度・歩幅の改善(最も改善しやすい)

  • 尿失禁の頻度が減少

  • 認知機能の部分的な改善(記憶・注意)

  • シャント機能不全・過剰排液には定期フォローアップが必要

※ 進行速度・症状の現れ方は個人差が大きく、必ずしも順序通りに進むとは限りません。

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原因・メカニズム

脳脊髄液(CSF)は脳室内の脈絡叢で産生(1日約 500mL)され、くも膜顆粒(主に上矢状静脈洞周囲)で吸収・循環します。iNPH ではくも膜顆粒での吸収能が低下し、CSF が脳室内に蓄積して脳室が拡大します(側脳室・第三脳室が優位に拡大、Evans 指数 > 0.3)。拡大した脳室が内側を走る神経線維束(運動野・補足運動野から脊髄へ向かう錐体路、排尿を制御する白質線維、前頭葉と皮質下を結ぶ前頭葉-皮質下回路)を内側から機械的に圧迫し、歩行・排尿・認知機能の障害が生じます。脳表(特に高位円蓋部)での CSF の貯留が乏しく、シルビウス裂周囲に CSF が偏在する所見(DESH: Disproportionately Enlarged Subarachnoid-space Hydrocephalus)が MRI 特徴として重視されます。二次性 NPH(くも膜下出血・外傷・髄膜炎後)と特発性に分類されます。

診断

2020 年改訂の「特発性正常圧水頭症診療ガイドライン 第3版」(日本正常圧水頭症学会)に基づいて診断します。

画像

MRI で ① Evans 指数 > 0.3(側脳室最大幅 / 頭蓋内最大幅)② DESH 所見(シルビウス裂の開大と高位円蓋部での CSF 貯留減少)の両者を確認します。脳脊髄液 flow void(MRI 正中矢状断で第三脳室底〜水道の CSF 拍動亢進)も補助的に評価します。

タップテスト(腰椎穿刺試験)

外来または入院で腰椎穿刺を行い CSF を 30〜40mL 排除します。処置後 24〜48 時間以内に歩行速度・歩数などを定量評価(TUG テスト等)します。明確な単一のカットオフ値は定められておらず、評価スケールの改善度に基づき施設ごとに総合的にタップテスト陽性を判定します。陽性の場合はシャント手術の有効性が高く予測されます(感度 26〜87%(代表値約58%)、特異度 33〜100%(代表値約75%))。

除外診断

脊柱管狭窄症・末梢神経障害・パーキンソン病などの歩行障害原因を除外します。

治療・ケア

脳室腹腔シャント術(VP シャント)が第一選択です。頭部に小切開を置いてカテーテルを脳室に刺入し、皮下を通して腹腔まで誘導することで余剰な CSF を排出します。圧可変式バルブ(プログラマブルバルブ)により体外から磁石で排液圧を調整できます。

腰椎腹腔シャント術(LP シャント)は開頭不要の代替選択肢で、高齢者・開頭リスクの高い患者に適用されます。

改善が期待できる症状の順番

歩行障害 > 尿失禁 > 認知機能障害(この順に改善しやすいとされる)。

手術リスク

感染(1〜5%)・シャント機能不全・硬膜下血腫・過剰排液(頭痛・頭蓋内低圧)。術後も年 1〜2 回の画像フォローアップと圧設定確認が必要です。

病期が進む前の早期手術が鍵

認知機能障害が重度になる前に手術すると改善率が高く、三徴が揃う前の歩行障害単独の段階での診断・手術が理想的です。

予後・経過

タップテスト陽性例へのシャント術では術後 50〜80% の患者で歩行の改善が見られます。認知機能障害・尿失禁の改善率は歩行に比べてやや低め(30〜60%)です。シャント術の効果は数年にわたって持続する場合がある一方、5〜10 年後にシャント機能不全・感染・再発により再手術が必要となることがあります。アルツハイマー病などの変性認知症を合併している場合は改善率が低下します。手術せず経過観察のみでは症状は進行するため、適応がある場合は早期に手術を検討することが重要です。

似た症状の疾患との違い

疾患名見分け方のポイント
アルツハイマー型認知症アルツハイマー型は近時記憶障害が主体で歩行障害は病期が進むまで目立たないのに対し、正常圧水頭症は歩行障害が認知機能低下に先行し、遂行機能・注意・精神運動速度の低下が目立つ点で異なる。
ビンスワンガー病いずれも歩行障害・尿失禁・認知機能低下を呈し画像上白質病変を伴うため紛らわしいが、正常圧水頭症は脳室拡大とDESH所見が目立ち、タップテストに反応する点が異なる。ビンスワンガー病では高血圧などの血管危険因子や多発ラクナ梗塞の既往を伴うことが多い。
パーキンソン病認知症正常圧水頭症のすり足歩行はパーキンソン病の小刻み歩行と類似するが、正常圧水頭症では歩隔が広い(wide-based)のに対しパーキンソン病は歩隔が狭く、静止時振戦や左右差のある筋強剛を伴う点が異なる。

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