分類8その他・稀な遺伝性疾患10分で読めます医師査読済 · 2026年6月

海馬硬化症とは?

高齢者に多い海馬の神経細胞脱落による記憶障害

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体験談・具体的な事例

岡本千枝子さん(仮名・85歳)は、長野県の農村で生まれ育ち、60年以上にわたって地元の農家を切り盛りしてきた女性です。夫の宏治さんが亡くなった後も一人で家庭菜園を続け、毎年夏にはトマトやナスを町内の知人に配るのが年中行事でした。3人の子どもたちは皆独立しており、末娘の敬子さんが月に一度様子を見に訪れていました。 82歳のころから、同じ話を繰り返すことが増え始めました。「先週、敬子がトマトを持って来てくれてね」という話を午前中に話し、午後にまた同じエピソードを繰り返す。ただし、昔の話——夫との農作業・戦後まもなくの記憶——は細かい情景描写とともに語れました。敬子さんが連れていったもの忘れ外来では、HDS-R(長谷川式認知症スケール)が14点(30点満点)で、記憶力の著明な低下が確認されました。 詳細な神経心理検査では、記憶力は著明に低下する一方で、言語流暢性・視空間機能・実行機能は比較的保たれていました。脳MRIでは両側の海馬・扁桃体が著明に萎縮していましたが、側頭葉後部・頭頂葉の萎縮はアルツハイマー病に比べて限定的でした。「アルツハイマーかもしれません」と最初は言われましたが、精査のためアミロイドPET検査を実施したところ、結果は陰性——アルツハイマー病の原因物質であるアミロイドβの脳内蓄積は確認されませんでした。 担当医から「LATE(加齢性TDP-43脳症、海馬硬化症)の可能性が高い」と説明を受けました。「85歳以上の超高齢者では、アミロイドなしで海馬が選択的に萎縮するTDP-43タンパクの病変が認知症の重要な原因となっています。アルツハイマーとは異なる病態です」という説明に、敬子さんは「では、アルツハイマーの薬は効かないのでしょうか」と尋ねました。「コリンエステラーゼ阻害薬の効果はアルツハイマーより限定的かもしれませんが、試してみることもできます」と担当医は答えました。千枝子さんは「試してみたい」とはっきり言いました。 ドネペジル(3 mg/日から開始)が処方され、同時に週2回のデイサービス利用が始まりました。デイサービスでは以前から得意だった農作業にちなんだ園芸活動が用意され、「土をいじると落ち着く」と千枝子さんは職員に話しました。4ヶ月後には昼夜逆転が改善し、食事を自分で準備できる日が増えました。 現在、千枝子さんはデイサービスを利用しながら末娘の敬子さんが月2回訪問する体制で在宅生活を続けています。菜園での作業は難しくなりましたが、プランターでのパセリ栽培は続けられています。「お母さんが土を触っているときの表情が、一番穏やかです」と敬子さんは言います。 LATE(海馬硬化症)は研究が急速に進む分野であり、将来のTDP-43標的治療薬の開発が期待されています。超高齢者の「アミロイド陰性の認知症」に対して、正確な診断と本人の意思を尊重した支援が、その人らしい生活を守る基盤となります。

基礎知識の解説

海馬硬化症とは

海馬硬化症(LATE:Limbic-predominant Age-related TDP-43 Encephalopathy)は、85歳以上の超高齢者においてTDP-43タンパクが海馬・扁桃体・嗅内皮質に選択的に蓄積し、神経細胞死を引き起こす疾患である。アルツハイマー病に類似した記憶障害(特に近時記憶の障害)を呈するが、アミロイドβおよびタウの蓄積を伴わないことが特徴的である。2019年のNelson PTらによるコンセンサスレポートで疾患概念が確立され、85歳以上の認知症の15〜25%に関与するとされる。主症状は近時記憶障害・見当識障害であり、言語・視空間機能・実行機能は初期に比較的保たれることが多い。アルツハイマー病より緩徐な進行をたどる傾向がある。

主な症状

  • 1近時記憶の著明な障害(最近の出来事の忘却——アルツハイマーに類似)
  • 2遠隔記憶の比較的良好な保持(古い記憶・昔の話は語れる)
  • 3見当識障害(日時・曜日の混乱)
  • 4言語流暢性・視空間機能の初期における比較的良好な保持
  • 5緩徐な進行(アルツハイマーより遅い傾向)
  • 6MRIでの海馬・扁桃体の選択的・両側性萎縮
  • 7アミロイドPET陰性(アルツハイマーとの鑑別における重要な所見)
  • 8実行機能・処理速度の後期における低下
  • 9昼夜逆転・睡眠障害(進行に伴って出現することがある)
  • 10嚥下障害・転倒(重症化した場合)

原因・メカニズム

TDP-43(TAR DNA-binding protein 43)は正常では核内に存在しDNA・RNA代謝に関与するタンパクであるが、LATE では細胞質に異常集積して封入体を形成し、核内機能が失われることで神経細胞死が生じる。病変は嗅内皮質→海馬CA1領域→扁桃体の順に広がるとされ(LATE-NC病期分類Stage 1〜3)、最終的に前頭葉を含む広域に及ぶ。GRN(グラニュリン)遺伝子変異やABCC9・KCNMB2多型がリスク因子として同定されている。TDP-43病変はアルツハイマー病変(アミロイド・タウ)と合併することが多く(約50%)、複合病理としての認知症が超高齢者では一般的である。

診断

生前の確定診断は困難であり、病理解剖が確定診断の基準となる。臨床的にLATEを示唆する条件は「85歳以上」「近時記憶障害が主体」「脳MRIで海馬・扁桃体の選択的萎縮」「アミロイドPET陰性(またはCSFアミロイドβ42正常)」の組み合わせである。2019年のNelson PTらのコンセンサス作業グループレポート(Brain誌)がLATEの診断基準・病期分類を提示している。アルツハイマー病・海馬型記憶障害を来たす他疾患(血管性・レビー小体型・FTLD)との鑑別にアミロイドPET・タウPET・FDG-PETが用いられる。アルツハイマー病変との合併例では両者の鑑別が困難となる場合がある。

治療・ケア

根治療法は現時点で存在しない。コリンエステラーゼ阻害薬(ドネペジル・リバスチグミン等)の効果はアルツハイマーより限定的とされるが、合併するアルツハイマー病変に対する効果や行動症状への部分的な効果を期待して症例ごとに判断される。非薬物療法が中心となり、認知リハビリテーション・運動療法・デイサービス(得意なことを生かした活動)が生活の質と残存機能の維持に有効である。睡眠障害・BPSDに対しては薬物療法(少量の抗精神病薬・睡眠薬)を慎重に使用する。転倒予防・嚥下管理・栄養管理が重症化予防の要点となる。

予後・経過

アルツハイマー病と比較して緩徐に進行する傾向があるが、発症年齢が85歳以上であるため他疾患(感染症・転倒骨折・心血管疾患)による影響が大きく、認知症以外の要因が予後を左右することが多い。適切な在宅支援・デイサービス利用により、在宅生活を長期間維持できる例もある。TDP-43標的治療薬の開発は現在進行中であり、今後の治療選択肢の拡大が期待される分野である。

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本記事は神経内科・精神科医師 Koba MD, PhD による監修・査読を経て公開しています。 査読日: 2026年6月

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参考文献

  1. [1]Nelson PT, Dickson DW, Trojanowski JQ, et alLimbic-predominant age-related TDP-43 encephalopathy (LATE): consensus working group reportBrain (2019)
  2. [2]Josephs KA, Murray ME, Whitwell JL, et alUpdated TDP-43 in Alzheimer's disease staging schemeActa Neuropathol (2016)
  3. [3]Nag S, Yu L, Capuano AW, et alHippocampal sclerosis and TDP-43 pathology in aging and Alzheimer diseaseAnn Neurol (2015)

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