分類4代謝・内分泌・栄養の異常10分で読めます医師査読済 · 2026年6月

甲状腺機能亢進症とは?

甲状腺ホルモン過剰による脳への影響

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体験談・具体的な事例

坂本茂さん(仮名・72歳)は、30年以上にわたって自動車整備工場を経営し、現在は息子に代を譲って会長職についています。囲碁とラジオ体操を日課とする穏やかな性格で、近所では「おやじさん」と親しまれていました。そんな茂さんに変化が現れたのは70歳を過ぎたころのことです。 妻の陽子さんが最初に気づいたのは、日課の囲碁クラブで「なんとなく集中できていない」と茂さんがこぼすようになってからでした。もともと辛抱強い茂さんがちょっとしたことで苛立つようになり、夜もなかなか眠れない様子でした。食欲はあるのに体重が半年で4kgも落ち、「体が消えていくみたいだ」と本人も不安がりました。陽子さんは認知症を心配し、かかりつけ医に相談しました。 内科での問診と血液検査で、甲状腺刺激ホルモン(TSH)が 0.02 mIU/L(基準値 0.5〜4.5 mIU/L)と著明に低下し、遊離サイロキシン(FT4)は 3.1 ng/dL(基準値 0.9〜1.7 ng/dL)と高値でした。抗TSH受容体抗体(TRAb)も陽性で、バセドウ病(グレーブス病)による甲状腺機能亢進症と診断されました。担当医から「高齢者では動悸や手の震えが目立たず、無気力・認知症様症状として現れる『アパシー型(無感動型)甲状腺機能亢進症』のパターンがある」と説明を受けました。 抗甲状腺薬チアマゾール(MMI)10mg/日の内服を開始し、2ヶ月後には甲状腺ホルモン値が正常域に入りました。認知機能検査のMMSEスコアは治療前の21点から26点へと改善し、焦燥感や不眠も著明に軽快しました。陽子さんは「別人のように落ち着いた。あの頃は毎日ピリピリしていて、私も正直しんどかった」と振り返りました。 その後、甲状腺機能が安定したことを確認してから放射性ヨウ素(131I)アイソトープ治療を選択し、バセドウ病そのものの根治を図りました。アイソトープ治療後は甲状腺機能低下症に移行するリスクがあるため、3ヶ月ごとに採血でTSH・FT4を管理しています。 茂さんは今も囲碁クラブに通い、「あの時すぐに血液検査をしてもらって良かった」と語ります。「認知症かと覚悟していたのに、甲状腺の薬で元に戻れた。早めに病院に行って本当に良かった」——この経験から、茂さんは家族や知人に「年をとって物忘れや元気のなさが気になったら、甲状腺の検査もしてもらうといいよ」と話すようになりました。

基礎知識の解説

甲状腺機能亢進症とは

甲状腺機能亢進症(バセドウ病・毒性結節性甲状腺腫など)では、甲状腺ホルモンの過剰が脳代謝と神経伝達を過活性化し、認知機能障害・情動不安定・不眠・体重減少などを引き起こします。有病率は人口の約1〜2%で、20〜40代の女性に多いですが、高齢者でも発症します。高齢者では若年者に特徴的な動悸・手の震え・眼球突出が目立たず、無気力・うつ状態・認知症様症状として現れる「アパシー型(無感動型)甲状腺機能亢進症」が多いことが知られています。血清TSH低値がスクリーニングの要であり、抗甲状腺薬・アイソトープ治療・手術により甲状腺機能が正常化すれば認知症様症状も改善する「治る認知症」の一つです。

主な症状

  • 1認知機能低下(集中力・作業記憶・処理速度の低下)
  • 2焦燥感・易怒性・情動不安定
  • 3無気力・抑うつ(高齢者に多いアパシー型)
  • 4不眠・睡眠の質低下
  • 5体重減少(食欲があるにもかかわらず痩せる)
  • 6動悸・頻脈・心房細動(高齢者では出にくい)
  • 7発汗増加・暑がり・熱不耐症
  • 8手指の細かい振戦(手の震え)
  • 9筋力低下・近位筋筋力低下(階段が辛い)
  • 10眼球突出・眼の不快感(バセドウ病眼症)

原因・メカニズム

甲状腺ホルモン(T3・T4)の過剰は全身の基礎代謝を亢進させ、脳内ではカテコールアミン系(ノルアドレナリン・ドーパミン)の過活性化を引き起こします。T3は核内甲状腺ホルモン受容体を介してβアドレナリン受容体の発現を増加させ、交感神経系の感受性を高めます。この結果、神経細胞の興奮性が全体的に上昇し、過活動・焦燥・睡眠障害が生じます。一方で高齢者では心臓・筋肉への過負荷(心房細動・心不全・近位筋萎縮)が先行することが多く、これらの二次的影響が認知機能低下を悪化させます。バセドウ病の病態では自己抗体(TRAb)が甲状腺TSH受容体を持続的に刺激し、ホルモン産生が慢性的に過剰となります。また高齢者では視床下部-下垂体-甲状腺軸のフィードバック感受性が低下しているため、症状が顕在化するまでに時間がかかり、発見が遅れやすいとされています。

診断

日本甲状腺学会ガイドライン(2022年版)に基づき、血清TSH測定が第一選択のスクリーニング検査です。TSHが基準値下限(概ね0.5 mIU/L)未満の場合、FT4(遊離サイロキシン)・FT3(遊離トリヨードサイロニン)を追加測定します。顕性甲状腺機能亢進症はTSH低値+FT4またはFT3高値で定義されます。バセドウ病の確定診断には抗TSH受容体抗体(TRAb)または甲状腺刺激抗体(TSAb)の測定が必要です。甲状腺エコーで血流増加・腫大を、シンチグラフィでヨウ素取り込み亢進を確認します。認知症精査においては「治る認知症」の鑑別として甲状腺機能検査は必須です。認知機能評価にはMMSE・HDS-R・MoCAを用い、甲状腺機能正常化前後でのスコア変化を追跡します。心房細動合併の有無は心電図で確認し、脳卒中リスクの管理にも繋げます。

治療・ケア

抗甲状腺薬(チアマゾール・プロピルチオウラシル)が薬物療法の第一選択です。チアマゾール(MMI)は効果が安定しており、1日1〜3回に分けて投与します。プロピルチオウラシル(PTU)は妊娠初期などMMIが使いにくい場合に用います。重大な副作用として無顆粒球症(発熱・咽頭痛が現れたら直ちに受診)があるため、定期的な白血球数の確認が必要です。放射性ヨウ素(131I)アイソトープ治療は根治的治療法の一つで、甲状腺組織を選択的に破壊します。手術(甲状腺切除術)は大きな甲状腺腫・眼症合併・アイソトープ治療困難例に適応されます。治療後に甲状腺機能が正常化するとともに認知機能・情動症状も改善します。アイソトープ治療・手術後は甲状腺機能低下症に移行することがあるため、長期的なTSH・FT4のモニタリングが必要です。

予後・経過

甲状腺機能が正常化すれば、認知症様症状・精神症状は多くの場合に回復します。Trzepacz ら(1988年)は抗甲状腺薬治療後の神経精神症状の改善を報告しています。高齢者では回復に若年者より時間を要することがありますが、治療開始後3〜6ヶ月での認知機能の有意な改善が期待されます。長期放置による心房細動・心不全・筋萎縮が進行していると、甲状腺機能正常化後も身体機能の回復が遅れる場合があります。バセドウ病は再発しやすく、長期的な経過観察と甲状腺機能のモニタリングが不可欠です。治療後も認知機能が改善しない場合は一次性認知症の合併を再評価します。

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本記事は神経内科・精神科医師 Koba MD, PhD による監修・査読を経て公開しています。 査読日: 2026年6月

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参考文献

  1. [1]Trzepacz PT, McCue M, Klein I, Levey GS, Greenhouse JA psychiatric and neuropsychological study of patients with untreated Graves' diseaseGeneral Hospital Psychiatry (1988)
  2. [2]Bauer M, Goetz T, Glenn T, Whybrow PCThe thyroid-brain interaction in thyroid disorders and mood disordersJournal of Neuroendocrinology (2008)
  3. [3]日本甲状腺学会バセドウ病治療ガイドライン2022日本甲状腺学会 (2022)
  4. [4]Schiemann U, Hengst KThyroid diseases and the nervous systemJournal of Neurology (2003)
  5. [5]日本神経学会認知症疾患診療ガイドライン2017医学書院 (2017)

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