BPSD症状医師査読済 · 2026年7月公開 2026年7月23日

認知症の帰宅願望——夫が「独身時代の下宿」に帰りたいと言い出したときの話

「家に帰りたい」の“家”が今の家庭ではなく、結婚前に住んでいた場所だったときの戸惑いと、配偶者としてどう向き合うかを、実際の家族の体験から解説します。


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千葉県に住む小林美佐子さん(74歳)は、結婚して48年、夫の勝さん(78歳、レビー小体型認知症、要介護2)とずっと同じ家で暮らしてきましたが、ある日を境に、勝さんが「そろそろ下宿に戻らないと、大家さんに怒られる」と繰り返すようになりました。


美佐子さんは最初、「ここがあなたの家でしょう」とびっくりして思わず訂正しましたが、すると勝さんは「お前は誰だ、下宿の場所を知らんのか」と声を荒げたのです。まるで自分が赤の他人として扱われたようで、「48年間一緒に過ごしてきたのに、その思い出はどこに消えてしまったのだろう」そう思うと涙が止まらない夜もあった。


ケアマネジャーに相談すると、こんな説明を受けた。「“下宿”というのは、おそらく勝さんが20代、就職したばかりの独身時代に住んでいた場所ではないでしょうか。勝さん自身が今の状況に対して混乱しており、安心できた記憶として下宿という表現につながっているのかもしれません」。


「もしかしたら『下宿』を否定する事は、ご本人の安心できる場所を減らしてしまい、かえって混乱が悪化するかもしれません」と言われた美佐子さんは「正しいことを伝えなければ」という気持ちは確かにあり、本音では簡単に諦めたわけでは無かった。しかしながら勝さんが「下宿に帰る」と言い出したとき、美佐子さんは「今日は大家さんに連絡しておいたので大丈夫ですよ」と試しに話を合わせてみた。勝さんはほっとした表情を見せ、それ以上その話題にこだわることはなかったのだ。


それでも、美佐子さんの中に「自分は必要とされていないのでは」という傷つきがすぐ完全に消えたわけではないが、ケアマネジャーとの面談や、地域の家族会で同じような経験をしている人と話すことで、その気持ちを少しずつ整理していった。


なぜ「今の家」ではなく別の場所を求めるのか


記憶の逆行 → 直近の記憶より、若い頃の鮮明な記憶が優位に立つことがあり、その中の「安心できた場所」を求めることがあります。


混乱からの逃避 → 今の状況をうまく理解できない不安や混乱から、かつて安心できた/自信を持てた環境へ気持ちが向かうと考えられています。


配偶者を認識できていないわけではない → 「今の状況」への戸惑いの表れであることが多く、配偶者としての存在そのものを忘れたとは限りません。


配偶者自身の心のケアも忘れずに


「忘れられた」と感じるのは自然な反応 → その感じ方自体は間違いではなく、無理に平気なふりをする必要はありません。


一人で抱え込まない → ケアマネジャーや家族会など、気持ちを話せる場を意識的に持つことが助けになります。


本人の言動と、二人で過ごした時間の価値は別物と捉える → 症状としての言動と、これまでの関係の重みを切り離して考える視点を持つことが心の支えになります。


実際に効果のあった対応


事実を訂正せず、話を合わせて安心させる → 「大家さんに連絡しておいた」など、本人が納得できる形で安心を提供します。


落ち着いてから、今の生活の中の役割や安心材料を差し出す → 気持ちが落ち着いたタイミングで、別の話題や日課へ自然に誘います。


「なぜそこに帰りたいのか」を否定せず聞いてみる → 話を聞く中で、本人なりの理由や不安が見えてくることがあります。


よくある失敗パターン


ショックを表に出し、本人を追い詰めてしまう → 家族の動揺が伝わり、本人の混乱をさらに強めてしまうことがあります。


正面から事実を訂正し続ける → 訂正すればするほど、本人の不安や抵抗が強まりやすくなります。


配偶者自身のつらさを誰にも話せず抱え込む → 孤立感が強まり、対応する余力そのものが失われてしまいます。


配偶者が「別の場所」を求めたときのチェックリスト

  • 事実の訂正より、まず本人の不安を受け止める言葉をかける
  • 話を合わせて安心させ、落ち着いてから別の話題へ自然に誘う
  • 求める場所や時代に、本人なりの「安心できた理由」がないか考えてみる
  • 自分自身の傷つきをケアマネジャーや家族会などに話せる場を持つ
  • 症状が悪化・頻回化する場合は医師に相談し、対応の工夫を一緒に考える

  • 後日談であるが、美佐子さんは「勝は私を忘れたわけじゃなく、今の混乱から逃げたかっただけなんだと思えるようになった」と話す。今では「下宿」の話が出ても、慌てず「大丈夫、伝えておきましたよ」と笑顔で応じられるようになったという。


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    [1]: 日本神経学会「認知症疾患診療ガイドライン2017」より

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    本記事は神経内科・精神科医師 Koba MD, PhD による監修・査読を経て公開しています。 査読日: 2026年7月

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    公開日:

    参考文献

    1. [1]日本神経学会認知症疾患診療ガイドライン2017 (2017)
    2. [2]NICEDementia: assessment, management and support (NG97) (2018)
    3. [3]日本認知症ケア学会帰宅願望・夕暮れ症候群への対応の手引き (2019)

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