
##「あれ、いつもの匂いがしない」
たばこの匂いを嫌っていたお母さまが、廊下に残るお父さまのたばこの匂いに反応しなくなったのに、あなたが気付いたのはいつでしょうか?
または、いつも好んで食べていた焼き魚の香りが家の中に充満しているのに、「私もうお魚焼いたかしら?」と首をかしげるようになったのは?
それが認知症の症状だとは思わず、単なる慣れや加齢によるおっちょこちょいだと思い込んでいませんか?
実は、アルツハイマー型認知症の患者さんの中には、診断されるずっと前から嗅覚が低下している人が大勢います。あなたが気づいていないだけで、ご本人の脳では静かに着実な変化が起きているのです。
アルツハイマーと嗅覚:隠れた関係
記憶が失われていく病気として知られるアルツハイマー型認知症ですが、実は嗅覚(においの感覚)は、この病気が最初に影響を与える脳領域の一つです。
奇妙に思えるかもしれませんが、この関係には神経解剖学的な理由があります。 ざっくりと説明すると記憶の中核を担う海馬(かいば)と匂いをとらえる嗅内皮質(きゅうないひしつ)は脳のなかでお隣同士の関係なのです。
言い換えると、アルツハイマー病変が記憶中枢を壊す時、その病変はすでに嗅覚の領域に侵入しているということ。実はアルツハイマー型認知症の患者さんでは、記憶障害が顕著になる数年前から嗅覚が低下していることが多いのです。
##脳で起きている「変性」
何が起きているのか、もうちょっとだけ説明しておきます。
(ひと昔前は知らなくても良い知識だったのですが、最近では抗体医薬の登場で耳にする機会もあるかと思いますので)
アルツハイマー型認知症の脳では、二つの異常な物質が蓄積します。
1. アミロイドβ(ベータ)タンパク質
健康な脳でも常に産生される物質ですが、アルツハイマー患者ではこれが脳内で凝集し、「プラーク」と呼ばれる塊となって蓄積します。これが神経細胞の働きを阻害します。
2. リン酸化タウタンパク質
神経細胞の内部で本来は安定した骨組み(微小管)を支えるタンパク質として働いていますが、異常にリン酸化されると、その骨組みが崩壊し、細胞全体の機能が低下してしまいます。 嗅内皮質では、このタウの蓄積が特に目立ちます。その結果、匂いの情報がうまく処理できなくなり、嗅覚が低下するわけです。
なお研究によれば、アルツハイマー型認知症の患者さんの約90%で嗅覚の低下が認められます。多くの場合、自分でも気づかないうちに変化が始まっています。
次回は嗅覚の低下が日常生活にどのような影響を及ぼすかを解説します。
匂いの感覚が落ちるだけじゃないの?......これが簡単にそれだけとは言えないほど多岐にわたって日常生活に影響するんです。
