ケアガイド医師査読済 · 2026年7月公開 2026年7月21日

成年後見制度の基礎と申立ての流れ

法定・任意後見の違いと、費用・手続きの全体像。


「介護保険はどこから申請する?」「どんなサービスが使える?」を認知症を専門とする医師が整理してお伝えします。

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松田由美子さん(55)が、父・松田正男さん(79)の成年後見制度について初めて真剣に考えたのは、正男さんの通帳から身に覚えのない引き落としが続けて見つかった秋のことだった。


由美子さんは埼玉県さいたま市に住んでいる。正男さんは電車で40分ほど離れた春日部市の自宅に独り暮らしをしており、アルツハイマー型認知症と診断されてからすでに1年が経っていた。週末に顔を出すたびに「通帳は自分で管理できる」と言い張る正男さんの様子が心配で、由美子さんは何度か「一緒に確認しようよ」と提案したが、そのたびに「俺はまだしっかりしてる」と撥ねつけられてきた。


ある土曜日の朝、由美子さんが玄関を開けると、正男さんはダイニングテーブルに請求書の束を広げて首をひねっていた。「由美子、これ何の金だろうな。口座から引かれてるんだが、払った覚えがない」。束の中には通信販売の領収書が3枚。合計すると18万円を超えていた。本人はまるく切り取った番組広告を器用にスクラップしており、「ためしに頼んでみた」と言うのだが、注文した記憶はもう残っていない。


由美子さんはその日の帰り道、ずっと胸が重かった。今はまだ通販の話で済んでいる。でも、もしこのまま悪徳業者に狙われたら。あるいは不動産の権利書に判を押させられるようなことになったら。そう考えると眠れない夜が続いた。


地域包括支援センターに相談したのは、それから2週間後のことだ。担当の相談員から「成年後見制度というものがあります」と聞いた瞬間、由美子さんは「聞いたことはあるけど、裁判所が出てくる難しい話でしょう?」と口ごもってしまった。実際、インターネットで調べると「家庭裁判所」「鑑定費用」「審判」という言葉が並び、どこから手をつければいいのか全く分からなかった。


相談員が一枚のチラシを手渡した。「まず種類を知るところから始めましょう」。そこには「法定後見」と「任意後見」という2つの柱があり、それぞれの使いどころが図で示してあった。そのとき初めて、由美子さんは「制度には入口が2つある」ことを知った。


正男さんの認知症はすでに日常生活に影響が出ている。相談員いわく、本人がまだ判断能力のある段階で将来に備えるのが「任意後見」、すでに判断能力が不十分な場合に家庭裁判所に申立てをして後見人を付けてもらうのが「法定後見」だ。正男さんの現状では法定後見の「補佐」か「後見」が現実的だと分かった。


弁護士に相談しに行ったのは11月の頭だった。法定後見の申立てに必要な書類として示されたリストは、由美子さんが想像していたよりずっと長かった。申立書、戸籍謄本、住民票、本人の財産目録(預貯金通帳、不動産の登記事項証明書)、本人情報シート(担当ケアマネジャーが作成)、診断書(専用の書式があり主治医に書いてもらう)。鑑定が必要になる場合は別途5万〜10万円前後の費用がかかると聞いて、由美子さんは思わず「そんなにかかるんですか」と声に出してしまった。弁護士は穏やかに、「鑑定は全件必要ではなく、診断書で判断能力の程度が明確な場合は省略されることが多い」と補足してくれた。


申立てから審判まではおよそ2〜4か月かかる。その間に家庭裁判所の調査官が本人・申立人・後見人候補者に面接することがあり、正男さんにも調査官との面接の日程が組まれた。由美子さんは「父が調査官にちゃんと答えられるか」と不安になり、前日の夜に電話をしてしまった。「明日ね、裁判所の人が来るから」と伝えると、正男さんは「何の裁判だ?俺、悪いことしたか?」と怯えた声になった。「悪いことじゃないよ、助けてもらうための手続きだから大丈夫」と何度も言い聞かせながら、由美子さんは「説明の仕方を間違えた」と後悔した。


後見人には由美子さん自身が就任した。ただし、不動産の売却など財産管理の一部については家庭裁判所に「後見監督人」が付く場合があり、その報酬は月額1万〜3万円程度が目安になると事前に説明を受けた。審判書が届いた日、由美子さんは改めて「ここから後見人として動ける」と実感した。と同時に、「もっと早く知っておけばよかった」という気持ちが込み上げてきた。任意後見は本人に十分な判断能力があるうちにしか使えない制度だ。あのとき「難しそう」と先延ばしにしなければ、正男さん本人の意思を反映した形で準備できたはずだった。


成年後見制度を正しく使うために押さえたい5つのポイント


1. 「法定後見」と「任意後見」は使う段階が根本的に異なります

任意後見は本人の判断能力があるうちに本人自ら後見人候補を指定して公正証書を結ぶ制度です。法定後見は判断能力が低下してから家庭裁判所に申立てをする制度で、後見・保佐・補助の3類型があります。由美子さんのように診断後に動き始めた場合は、多くのケースで法定後見が現実的な選択肢になります。


2. 申立ては家庭裁判所に行いますが、準備は地域包括支援センターや弁護士・司法書士と始めると動きやすいです

「裁判所=敷居が高い」というイメージを持ちやすいですが、書類の収集・診断書の依頼・財産目録の作成は専門家とともに進めれば負担を分散できます。弁護士や司法書士に申立て代理を依頼した場合の報酬は概ね10万〜20万円前後(内容による)です。


3. 鑑定費用は全件かかるわけではありません

診断書の記載内容から判断能力の程度が明確と判断されれば鑑定は省略されます。ただし鑑定が行われる場合には5万〜10万円程度の費用が発生するため、主治医の診断書に認知症の程度を具体的に書いてもらうことが重要です。


4. 後見人が就任した後も家庭裁判所への報告義務があります

年1回、後見人は財産管理の状況を家庭裁判所に報告する義務を負います。通帳のコピーや収支の一覧を整理して提出する形が一般的で、これを怠ると後見人を解任されるケースもあります。記録を日頃から付けておく習慣が後で大きく役立ちます。


5. 後見人の報酬は家庭裁判所が審判で決定します

家族が後見人になった場合でも報酬を受け取ることは可能ですが、専門職(弁護士・司法書士等)が後見人になる場合は管理する財産額に応じて月額2万〜6万円程度が相場とされています。費用を軽く見積もっていると後に家計を圧迫することになるため、着任前に目安を確認しておきたいところです。


よくある失敗パターン

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「まだ大丈夫」と先延ばしにして任意後見を使えなくなります

由美子さんが最も後悔したのがこれです。任意後見は本人が「今の自分の希望」を正式に記録できる唯一の仕組みですが、判断能力が失われた後では締結できません。主治医から認知症と告知されたタイミングで、家族は任意後見の選択肢を検討し始めるべきです。


書類を集め始める前に診断書の書式を確認しません

家庭裁判所に提出する診断書は専用の書式があり、主治医が通常の診断書と同じ書式で書いてしまうと差し戻しになります。書式は裁判所のウェブサイトから入手して、受診前に主治医へ渡しておくのがスムーズです。


後見人候補として親族の名前だけ書いて裁判所に却下されます

家庭裁判所は後見人候補が適任かどうかを独自に審査し、財産管理が複雑な場合や親族間に対立がある場合は、申立人の希望する候補者ではなく弁護士や司法書士が選任されることがあります。候補者を立てる前に要件を確認しておきたいところです。


財産目録を過小申告してしまいます

「父の口座は1つだけ」と思っていたら、古い銀行に休眠口座があったというケースは少なくありません。通帳、証券、保険証券、不動産の権利書、貸金庫の有無まで、申立て前に家族で網羅的に確認します。目録に漏れがあると後から追加申告が必要になり手続きが煩雑になります。


「後見人になれば何でも自由にできる」と誤解します

後見人は本人の財産を「本人のために」使う義務があり、家族への贈与や大規模な資産運用は原則として認められません。「親の財産を自分たちで活用しよう」という発想で動くと、後見監督人や家庭裁判所とのトラブルに発展するケースがあります。


申立て前に確認したいチェックリスト

  • 診断書は家庭裁判所の専用書式を主治医に渡して作成してもらっていますか
  • 預貯金・不動産・保険・有価証券を含む財産目録を家族で網羅的に作成しましたか
  • 後見人候補を立てる前に家庭裁判所の選任方針(複雑な財産管理・親族間対立等)を確認しましたか
  • 後見監督人が付く場合の報酬(月額目安)を申立て前に試算しましたか
  • 任意後見の可能性はすでに失われているか、まだ間に合うか主治医・相談員に確認しましたか
  • 申立て後の年次報告で提出する書類の種類と保管方法を事前に把握していますか

  • 審判書が手元に届いてから半年が過ぎた今、正男さんの通帳は由美子さんが管理し、通販サイトへの接続は端末のフィルタリング設定で制限している。毎月の収支は専用のノートに手書きで記録しており、年1回の裁判所への報告も「やってみれば思ったより難しくなかった」と由美子さんは言う。「最初から知っていれば父と一緒に決められた部分もあった。でも今から整えていくことはまだできる」。そう話す由美子さんの声は、あの秋の夜よりずっと落ち着いていた。成年後見制度は重たい手続きです。それでも、早めに動いた分だけ、本人と家族に選択肢が残る制度でもあります。

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