83歳の母がアルツハイマー型認知症(中等度〜重度)。最近、30年間連れ添った父のことを「知らない人が家にいる」と怖がったり、 娘のことを「姉」と呼んだりするようになりました。父はひどく傷ついており、母をどう理解すればよいか悩んでいます。 医師が示した3つの選択肢と、家族が見つけた新しい関係性を詳しく解説します。
本人の年齢
83 歳
女性・家族と同居
診断
中等度〜重度
アルツハイマー
症状
相貌失認
夫・娘を誤認
配偶者の状態
深い悲しみ
介護うつリスク
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相談する顔や人物の認識が難しくなる症状(相貌失認・人物誤認)は、認知症が進行した段階でよく見られます。 これは愛情が薄れたのではなく、顔情報を処理する脳の部位の障害です。
顔はわからなくても、声・香り・温もりなど別の感覚で「大切な人」を感じていることがあります。 名前は呼べなくても笑顔を向けたり、手を握り返すという形で愛情が表れることが多いです。
顔の認識は脳の「紡錘状回」という部位が担っています。 アルツハイマー病の進行によりこの領域が萎縮すると、 顔情報を処理できなくなります。 これは「忘れた」のではなく「認識できない」状態です。
長年連れ添ったパートナーに「知らない人」と言われる悲しみは、 想像を絶するものです。 「自分の存在が消された」ような喪失感を抱き、 介護うつや燃え尽きのリスクが非常に高まります。
本人の体験を想像する
本人は「毎日知らない人が家にいる」という恐怖を感じています。 私たちが突然記憶を失い、見知らぬ人に囲まれたら——その不安を想像すると、本人がどれほど怖いかが理解できます。 訂正するのではなく、安心させることが最優先です。
それぞれのメリット・デメリット・向いているケースを詳しく解説します。クリックして展開してください。
「知らない人」と言われても訂正せず、「毎日来ています」「お世話させてください」と穏やかに自己紹介し、安心感を与えることを優先します。
本人の世界に寄り添う対応は、「現実を訂正する」のではなく「本人が感じている世界を尊重する」アプローチです。顔がわからなくても、「優しい人」「安心できる人」として認識してもらうことを目標にします。 重要なのは、「名前を覚えてもらう」より「今この瞬間に安心してもらう」ことです。顔はわからなくても、声・笑顔・スキンシップ(手を握る、肩に触れる)は伝わります。本人が「この人は怖くない」「優しくしてくれる」と感じれば、それで十分です。 また、この対応は家族(特に配偶者)の精神的負担を軽減します。「わかってもらえなくても、安心してもらえればいい」という目標の転換が、介護を持続可能にします。
向いているケース
中等度〜重度の認知症で、訂正が混乱を招く段階。家族が「安心してもらう」ことを目標に切り替えられる場合。
向かないケース
家族が「わかってもらいたい」という気持ちを捨てられず、この対応に納得できない場合は無理に導入しない。
相貌失認(顔がわからない)や人物誤認は、脳の顔認識領域の障害によるものであり、薬物療法で直接改善することはほとんどありません。ただし、混乱や不安が強い場合には補助的に薬剤を使用することがあります。
抗不安薬(エチゾラム、ロラゼパムなど)
不安や恐怖が強い場合に頓服(必要時)で使用。短時間作用型を少量から。
主な副作用:眠気、ふらつき、転倒リスク、依存性(長期使用時)
抗精神病薬(リスペリドン、クエチアピンなど)
興奮や攻撃的行動が激しい場合に少量使用。BPSDへの対症療法として。
主な副作用:過鎮静、パーキンソン症状、転倒リスク、認知機能のさらなる低下
最も効果的なのは非薬物療法
相貌失認への最も効果的な対応は「非薬物療法」(本人の世界に寄り添う対応、安心感を与える接し方)です。薬物療法はあくまで補助的な位置づけであり、主治医と相談しながら慎重に使用してください。
この事例では選択肢Bを中核に置きながら、配偶者のケアと家族全体のサポートを組み合わせた段階的なアプローチを提案しました。
まず配偶者(父)の深い悲しみを受け止め、「これは病気の症状であり、愛情が薄れたわけではない」と理解してもらうことが最優先です。家族で話し合い、「わかってもらう」から「安心してもらう」への目標転換を共有します。
「私は夫の〇〇ですよ」ではなく、「毎日来ています。お世話させてくださいね」と穏やかに自己紹介する練習を始めます。最初は違和感があっても、繰り返すうちに自然になります。
新しい接し方に対する本人の反応を観察します。笑顔が増えた、手を握り返すようになった、などの小さな変化を記録し、家族で共有します。効果が見られない方法は無理せず変更します。
本人の症状は改善しませんが、家族の対応が変わることで関係が穏やかになります。特に配偶者の精神的ケアを継続し、認知症家族会や心理カウンセリングを活用します。
相談後、家族がとった行動と、それに対する母の反応、そして父の心の変化をたどります。
相談から1週間後
父は相談時、「30年間一緒に生きてきたのに、『知らない人』と言われることがこんなに辛いとは思わなかった」と涙を流した。娘も「母が私を『姉』と呼ぶことに、最初は違和感しかなかった」と語る。家族全員で話し合い、まず父の悲しみを受け止めることを優先。認知症家族会を紹介し、父が参加することを決めた。
2週間後
父は「私は夫です」と言う代わりに、「毎日来ていますよ。お茶を入れましょうか」と穏やかに話しかけるようになった。最初は「これでいいのか」と戸惑っていたが、母が「ありがとう」と笑顔を見せたことに驚いた。娘も「母さん、今日は天気がいいですね」と話しかけ、「そうね」と返事をもらえたことに安堵。
1ヶ月後
父が手を握ると、母は握り返すようになった。顔はわからなくても、「優しい人」として認識している様子。昔の写真を見せたところ、「懐かしいわね」と笑顔を見せたが、「これは誰?」と尋ねられた。訂正せず、「仲の良い二人ですね」と答えると、母は「そうね」と満足そうにした。娘は「母を『姉』と呼ぶことに慣れてきた。もう訂正しない」と語る。
3ヶ月後・現在
父は認知症家族会で「妻は私を覚えていないが、手を握ると笑顔になる。それで十分だと思えるようになった」と語った。娘も「母が私を『姉』と呼んでも、優しく話してくれることに感謝している」と言う。母の相貌失認は改善していないが、家族の接し方が変わったことで、家全体の雰囲気が穏やかになった。主治医と相談し、混乱や不安が強いときのために抗不安薬を処方してもらったが、使用頻度は低い。
Dr. Koba より
認知症専門外来・在宅診療
この事例で最も重要だったのは、配偶者(父)の深い悲しみを家族全員で受け止めたことです。 「妻が自分を忘れた」という喪失感は、想像を絶するものです。 その悲しみを一人で抱え込ませず、認知症家族会や心理カウンセリングにつなげたことが、 父の精神的崩壊を防ぎました。
また、「わかってもらう」から「安心してもらう」への目標転換が、 家族全体の雰囲気を変えました。 顔はわからなくても、手を握ると母は笑顔を見せる——その小さな変化に気づけたことが、 家族に希望を与えました。
うまくいった点
難しかった点
この事例から学べること
相貌失認は症状そのものを治すことはできません。 しかし、家族の接し方を変えることで、本人の安心と家族の穏やかさを取り戻すことはできます。 「忘れられた」のではなく、「顔がわからなくなった」——その理解が、 家族を救います。
同じ「相貌失認」でも、背景が異なれば最適な答えは変わります。 あなたの状況に近いものを確認してみてください。
「答え」は一つではありません
相談に来られる方の状況は、一人ひとり異なります。本人の認知症の程度・性格・ 家族構成・配偶者の健康状態・地域の介護資源——これらすべてが組み合わさって初めて、 「その方にとっての最善策」が見えてきます。 この事例と似た部分があっても、あなたの状況は必ずどこかが違います。 だからこそ、医師への相談に意味があります。
この事例と似た状況でも、あなたの親御さんの性格・家族構成・配偶者の健康状態によって 最適な対応は変わります。医師に直接相談することで、あなたの状況に合った 具体的な答えが見つかります。「こんなことを聞いていいのか」と遠慮する必要はありません。
「妻に『知らない人』と言われたとき、世界が終わったと思いました。 でも医師に相談して、『顔はわからなくても、手を握れば伝わる』と教えてもらい、 新しい関係が始まりました。妻は私を覚えていないけど、笑顔を見せてくれます。それで十分です。」
— 80代男性・妻(83歳)の介護中