ケアガイド医師査読済 · 2026年7月公開 2026年7月5日更新 2026年7月23日

認知症の人に睡眠薬は使ってよい?

転倒・せん妄リスクと、薬に頼る前の環境調整。

Koba MD, PhD

医療監修

Koba MD, PhD

認知症専門外来・在宅訪問診療に従事


「薬を飲んでくれない」「どう管理すればいい?」という医療的な疑問を認知症を専門とする医師に相談できます。お試し相談¥1,000〜。

相談する

夜中の3時、また母の足音が廊下に響いた。


川口恵子は薄いカーテン越しに時計を確認しながら、疲れで重くなった体を起こした。母の進行性アルツハイマー型認知症が診断されてから2年。昼間はうとうとして、夜になると起き出して部屋の中をうろつく——そのサイクルが始まったのはここ半年のことだった。


「お母さん、どこ行くの?」


「買い物に行かなきゃ。夕飯のお豆腐がない」


時刻は午前3時17分。スーパーはとっくに閉まっている。恵子は母の腕をそっと取り、寝室に戻ろうとしたが、母は「離してちょうだい」と声を荒らげた。翌朝7時、恵子は寝不足のまま職場のパソコンを開きながら、かかりつけ医への電話メモを手帳に書いた。「眠れる薬、もらえますか」。


次の外来で主治医は困ったような顔をした。「眠剤は出せないわけじゃないですが、お母様に使うには少し慎重にならないといけないことがあって……」。そこから30分、恵子は初めて「認知症と睡眠薬のリスク」を聞かされた。自分でも調べ直し、試行錯誤を繰り返すなかで、薬を使わずに母が夜間に起きる回数を週に1〜2回まで減らすことに、2か月後にはなんとか成功した。


---


brain 認知症と睡眠障害のしくみ


健康な人の睡眠は、体内時計(概日リズム)と脳のメラトニン分泌によって制御されている。認知症が進行すると、この仕組みが二重に崩れる。


まず、アルツハイマー型認知症では視床下部の視交叉上核——概日リズムを刻む"体内時計の司令塔"——が萎縮しやすい。これにより昼夜のメリハリが消え、昼間に居眠りを繰り返し、夜には覚醒するという逆転パターンが生じる。


次に、夜間せん妄の問題がある。せん妄とは急性の意識混濁・興奮状態で、認知症の人は健常高齢者に比べて発症しやすい。夜間せん妄の引き金となる代表的な因子は以下のとおりだ。


  • 脱水・発熱・便秘など身体的ストレス
  • 日中の刺激不足(寝たきりに近い状態)
  • 昼間の過剰な眠気による睡眠圧の消失
  • 夕方から夜にかけての薄暗い光環境(「サンダウニング」)
  • 入院・転居などの環境変化

  • 認知症があるからといって必ずしも睡眠薬が必要なわけではなく、むしろ上記の因子を取り除くだけで夜間の問題行動が大幅に改善するケースが多い。


    ---


    alert 睡眠薬のリスク:転倒・せん妄・依存


    認知症の人に睡眠薬を使うことが難しい理由は、一般的な副作用がはるかに大きく出やすいからだ。


    ベンゾジアゼピン系(トリアゾラム・ニトラゼパムなど)


    この系統は筋弛緩作用が強く、夜中にトイレに起きた際の転倒リスクを著しく高める。骨折後に寝たきりになり、認知症が急速に進行するケースは珍しくない。また、認知症の人では「健忘作用」が過剰に出て、翌朝の見当識がさらに低下することがある。さらに、日本老年医学会などは高齢者への安易な長期投与に対して強く警告しており、依存・離脱症状のリスクも高い。


    非ベンゾジアゼピン系(ゾルピデム・エスゾピクロンなど)


    「ベンゾよりマシ」と言われることがあるが、認知症の人では転倒リスクの低下幅は限定的で、夜間の複雑行動(睡眠中の歩行・食事など)が出ることもある。


    市販の睡眠改善薬(ジフェンヒドラミン配合)


    ドラッグストアで買える製品の多くが抗ヒスタミン薬を含む。この成分は強い抗コリン作用を持ち、認知症の症状を一時的に悪化させ、せん妄を誘発するリスクが非常に高い。認知症の人には禁忌に近い。


    ---


    lightbulb 薬に頼る前にできる環境調整

    この記事についてもっと詳しく知りたい方へ

    記事の内容についての疑問や、ご自身・ご家族の状況に合わせた相談を、認知症を専門とする医師に直接お聞きいただけます。

    お試し相談 ¥1,000(初回1回限定)・48時間以内に医師が回答


    恵子が2か月で母の夜間覚醒を減らした方法も、すべて以下の「環境調整」の組み合わせだった。


    昼間の活動量を増やす


    日中に30分以上の歩行か軽体操を取り入れる。「疲れさせる」のではなく「適切な覚醒」を作ることが目的だ。日中の居眠りは20分以内の仮眠にとどめ、ソファに横になる時間を減らす。


    朝の光を浴びる


    起床後30分以内に窓際に座り、曇り空でも外光を10〜15分浴びる。光はメラトニン分泌のリセットに直接作用する。


    夕方以降の光を絞る


    夕方以降はスマートフォン・タブレットの使用を控え、部屋の照明を少し落とす。強い青白い光は「まだ昼間」と脳に誤解させる。


    就寝前ルーティンを固定する


    「就寝前の温かい飲み物→トイレ→手足のマッサージ→就寝」など、毎晩同じ手順を繰り返す。認知症の人でも手続き記憶は比較的長く保たれるため、ルーティンが「眠る合図」として機能するようになる。


    トイレ動線を安全にする


    夜間覚醒の主な理由の一つは「トイレに行きたい」だ。ポータブルトイレをベッド脇に置く、足元灯を常夜灯に変える、滑り止めマットを敷くだけで、覚醒しても事故なく戻れるようになる。


    日中のカフェイン管理


    午後2時以降のコーヒー・緑茶・コーラを控えるだけで、深夜の覚醒回数が減るケースがある。高齢者はカフェインの代謝が遅く、夜まで覚醒作用が残りやすい。


    ---


    stethoscope どうしても薬が必要なときの選択肢


    環境調整を2〜4週間続けても夜間の問題行動が改善せず、本人または介護者の安全が脅かされている場合は、医師と相談のうえで薬を検討することになる。


    メラトニン受容体作動薬(ラメルテオン)


    脳のメラトニン受容体に直接作用して概日リズムを整える。筋弛緩作用がなく、依存性も低い。ただし即効性はなく、効果が出るまで1〜2週間かかることが多い。


    オレキシン受容体拮抗薬(スボレキサント、レンボレキサント)


    覚醒を維持する神経物質「オレキシン」の働きを抑えて眠気を誘う。筋弛緩作用が弱く、転倒リスクがベンゾ系より低いとされる。現在最も推奨されやすい選択肢の一つだ。


    医師に相談する際は「夜何時頃に起きるか」「日中どのくらい眠っているか」「転倒歴はあるか」を具体的に伝えると、より適切な判断を得やすい。


    ---


    alert よくある失敗パターン


    1. 市販の睡眠改善薬を試した


    ドラッグストアで「睡眠改善薬」として売られている製品のほとんどは抗ヒスタミン薬(ジフェンヒドラミン)を主成分とする。認知症の人に使うと翌日のせん妄・興奮が強くなり、「余計に眠れなくなった」という経験をした家族は少なくない。


    2. 日中に「疲れているから」と眠らせた


    昼間の活動を制限して休ませた結果、夜間の睡眠圧が低下し、ますます夜に目が覚めるようになる悪循環に陥った。介護者が休みたいからこそ昼間を起こしておく、という逆転の発想が必要だ。


    3. 転倒事故が起きた


    「先生に睡眠薬をもらって、最初の夜にトイレで転倒して大腿骨を骨折した」という事例は在宅介護の現場で繰り返し報告される。薬が処方された際には、必ずトイレ動線の整備と見守り体制の強化をセットで行う。


    4. 「少量だから大丈夫」と自己判断で継続した


    介護者が親に「半錠だけ」と飲ませ続け、半年後に薬への依存が形成されて減薬できなくなった例がある。用量の調整や継続期間の判断は必ず医師に委ねる。


    ---


    家族が知っておきたいチェックリスト

  • 日中に合計1時間以上の活動(散歩・体操・家事の手伝い)を取り入れているか
  • 朝の起床時間を毎日一定に保ち、起床後に外光を浴びさせているか
  • 夕方以降の照明・画面の明るさを落とし、就寝前ルーティンを固定しているか
  • 市販の睡眠改善薬(ジフェンヒドラミン配合)を使っていないか
  • 夜間の転倒対策(足元灯・滑り止め・ポータブルトイレ)を済ませているか
  • 睡眠薬を処方してもらう場合は転倒歴・日中の睡眠時間・夜間の覚醒パターンを医師に伝えているか

  • 睡眠薬は認知症の人の夜間問題を「解決する」薬ではなく、「一時的に抑える」薬だ。根本にある概日リズムの乱れや身体的不快を整えないままでは、薬の量が増えるだけで転倒・せん妄のリスクも比例して高まる。まず環境調整を2〜4週間、粘り強く試すこと——恵子が「先生に最初から教えてほしかった」と感じたのも、まさにその一点だった。薬の力を借りるとしても、それは環境調整と組み合わせた「最後の一押し」として使うのが、現時点で最も安全な考え方だ。

    この記事についてもっと詳しく知りたい方へ

    記事の内容についての疑問や、ご自身・ご家族の状況に合わせた相談を、認知症を専門とする医師に直接お聞きいただけます。

    お試し相談 ¥1,000(初回1回限定)・48時間以内に医師が回答

    介護をひとりで抱え込まないために

    医療機関でも使われている資料を、無料会員登録(30秒)でいつでも閲覧できます。

    • 登録無料・30秒で完了
    • 10種の資料がいつでも閲覧可能
    • 個人情報は厳重に管理します

    コメント

    コメントするにはログインしてください

    まだコメントはありません。最初のコメントを投稿しましょう。