BPSD対応ガイドラインの要点——専門家向け指針を家族向けに読み解く
日本神経学会やNICEなど専門家向けの診療ガイドラインが実際に何を推奨しているのかを、専門用語を避けて家族向けに整理し、受診時に医師と同じ土台で話せるよう解説します。
医療監修
Yuya Kobayashi, MD, PhD
認知症専門外来・在宅診療医
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秋田県に住む早坂由美子(52歳)は、実母のトキ子さん(79歳、アルツハイマー型認知症、要介護3)と二人暮らしをしている。半年前から、トキ子さんの物盗られ妄想と夜間の大声が目立つようになり、対応に迷った由美子はインターネットで「BPSD 対応 ガイドライン」と検索してみた。出てきたのは医療者向けのPDF文書ばかりで、「多職種連携」「非薬物学的介入を第一選択とする」「エビデンスレベル」といった言葉が並んでいたが、由美子には「結局、家でどうすればいいのか」がまったく分からなかった。ページを閉じて検索を諦めかけたことも一度や二度ではない。
かかりつけの神経内科医に相談すると、「実はガイドラインには、家族が知っておくと安心できることがたくさん書かれているんですよ」と言われた。医師は日本神経学会の診療ガイドラインを開きながら、「まず環境を整えること、薬はできるだけ最後の手段にすること、そしてひとりで抱え込まずに専門職に相談することが繰り返し強調されているんです」と、専門用語を一つひとつ噛み砕いて説明してくれた。「トキ子さんの大声も、何か理由があってのサインだと考えてみましょう」という言葉に、由美子は初めて母の行動を「問題」ではなく「訴え」として捉え直すことができた。
由美子は「ガイドラインというのは、医師が従うべき絶対のマニュアルだと思っていたけれど、実際は“こういう順番で考えてみましょう”という道しるべのようなものなんですね」と、その日はじめて肩の力が抜けた気がしたという。
stethoscope 主なガイドラインの全体像
BPSDへの対応を考えるとき、家族が名前を目にする機会が多い代表的な指針は次の3つです。それぞれ作成主体や視点が異なりますが、大きな方向性は共通しています。
日本神経学会「認知症疾患診療ガイドライン2017」[1]
認知症全般の診断・治療について、日本国内の医療現場向けにまとめられた指針です。BPSDについても章が設けられ、非薬物的介入を基本としたうえで、薬物療法を検討する際の考え方が示されているとされています。かかりつけ医や専門医が診療方針を立てる際の土台のひとつとされています。
NICE guideline「Dementia: assessment, management and support」(NG97, 2018)[2]
英国の国立医療技術評価機構(NICE)が策定した認知症全般に関するガイドラインです。BPSD(NICEでは「認知症に伴う苦痛を示す行動」といった表現が用いられる箇所もあります)についても、まず個別の要因を評価し、環境調整や心理社会的介入を優先することが推奨されているとされています。国際的に広く参照される指針のひとつです。
厚生労働科学研究班「かかりつけ医のためのBPSDに対応する向精神薬使用ガイドライン(第2版)」(2016年)[3]
薬物療法に焦点を当てた、より専門的な指針です。どのような場合に薬物療法を検討するか、どの薬をどの程度の期間・用量で用いるかについての考え方が示されているとされています。あくまで薬物療法に関する専門家向けの指針であり、非薬物的な対応を経たうえでの検討が前提とされている点は他の指針と共通しています。
この3つは競合する指針ではなく、それぞれ扱う範囲が異なると理解しておくとわかりやすいです。日本神経学会のガイドラインは診断から治療までの全体像を、NICEのガイドラインは英国の医療・介護制度を踏まえた支援の枠組みを、厚生労働科学研究班(日本老年精神医学会等が策定に関与)のガイドラインは薬物療法という一部分をより詳しく扱っています。医師によって参照する指針や説明の重点が異なることがあるのは、こうした役割の違いによるものであり、内容が食い違っているわけではないとされています。
いずれのガイドラインも、医師や医療専門職が診療の質を一定に保つために作られたものであり、目の前の一人ひとりの状況に機械的に当てはめるためのものではないとされています。この点は、次の章で改めて触れます。
lightbulb 家族が押さえておくべき要点
専門家向けの文書は難解に見えますが、共通して強調されているポイントを整理すると、家族の日々の対応にも活かせる部分が見えてきます。
非薬物的な対応がまず検討されるとされている → いずれのガイドラインも、薬物療法の前に、本人の困りごとの背景を探り、環境やかかわり方を調整することが基本の考え方として位置づけられているとされています。
BPSDは「本人からのサイン」として捉えることが推奨されている → 妄想や大声、拒否といった行動は、痛み・不安・不快・体調不良など、本人が言葉で伝えきれない何かのサインである可能性があるとされ、まずその背景を探ることが勧められています。
身体的な原因の確認が重視されている → 便秘、脱水、感染症、痛み、薬の副作用などがBPSDを悪化させる要因になりうるため、行動の変化があった際にはまず身体面の評価を行うことが推奨されているとされています。
多職種で対応することが前提とされている → 医師だけでなく、看護師、薬剤師、介護支援専門員(ケアマネジャー)、作業療法士など、複数の専門職が連携して対応にあたることが望ましいとされています。家族だけで、あるいは主治医だけですべてを抱え込む必要はないという考え方が根底にあります。
薬物療法を用いる場合は最小限・短期間が原則とされている → 薬を使う場合も、必要最小限の量から開始し、症状の変化を見ながら定期的に見直し、可能であれば減量・中止を検討することが推奨されているとされています。「一度始めたら飲み続ける」ことを前提にしていない点は、家族が知っておくと安心できるポイントです。
個別性への配慮が繰り返し述べられている → ガイドラインには「本人の生活歴・価値観・好みを踏まえて対応を組み立てる」という趣旨の記載が共通して見られるとされています。画一的な対応ではなく、本人に合わせた工夫が前提とされています。
家族・介護者の負担そのものも評価対象とされている → 介護をする家族の心身の状態や負担度も、対応方針を検討するうえで考慮すべき要素として位置づけられているとされています。家族が疲弊しきってから相談するのではなく、早い段階で支援につながることが望ましいとされています。
alert よくある誤解・NG対応
ガイドラインという言葉の響きから、家族が誤解してしまいやすいポイントもあります。
「ガイドライン=絶対に従うべきマニュアル」という誤解 → ガイドラインはあくまで診療の質を支える指針であり、個々の患者の状況に応じて医師が判断を加えるものとされています。「ガイドラインに書いてあるから、この対応しかない」と思い込む必要はありません。
「薬を使わない=ガイドライン通りで正しい」という単純化 → 非薬物的対応が優先されるとされていますが、それは「薬を絶対に使ってはいけない」という意味ではありません。本人や家族の安全が脅かされる場面では、薬物療法の検討が必要な場合もあるとされています。
「専門家向けの文書だから家族には関係ない」という思い込み → ガイドラインの多くは、医師が家族に説明する際の土台にもなっています。内容の一部でも知っておくことで、診察室で「なぜこの対応なのか」を医師に確認しやすくなります。
ガイドラインを盾に、家族の困りごとを後回しにしてしまう → 「まずは非薬物療法から」という原則にこだわりすぎて、家族が疲弊した状態を我慢し続けてしまうケースも見られます。ガイドラインでも介護者の負担そのものが考慮要素とされていることを踏まえ、つらいときは早めに相談することが妨げられるべきではありません。
ガイドラインの版が古いまま参照してしまう → 医学的な指針は改訂されることがあります。インターネット上の情報を参照する際は、可能であれば発行年やその後の改訂の有無を確認することが望ましいとされています。
こうした誤解を防ぐいちばんの方法は、ガイドラインの内容そのものを暗記することではなく、「今の対応がどんな考え方に基づいているのか」を主治医に率直に尋ねる習慣を持つことだと考えられます。次の受診では、以下の項目を手元にメモして持っていくとよいかもしれません。
医師にガイドラインを踏まえて確認したいことチェックリスト
由美子は「ガイドラインを全部理解する必要はなくて、“医師と同じ地図を持って話ができる”くらいの理解で十分だったんだと分かった」と振り返る。今は診察のたびに、気になる点をメモにして持っていくようにしているという。
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[1]: 日本神経学会「認知症疾患診療ガイドライン2017」(2017年)
[2]: NICE. "Dementia: assessment, management and support" (NG97, 2018)
[3]: 厚生労働科学研究班「かかりつけ医のためのBPSDに対応する向精神薬使用ガイドライン(第2版)」(2016年)
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