音楽療法・回想法・アロマは効くのか——BPSDへの非薬物療法の実際
音楽療法・回想法・アロマは何をどこまで期待できるのか。家庭でできる工夫と専門職の技法の違いを、体験談とともに整理します。
医療監修
Yuya Kobayashi, MD, PhD
認知症専門外来・在宅診療医
「なぜこんな症状が出るの?」「薬で改善できる?」2分の無料チェックで、受診時に伝えるべきことを整理できます。
長野県に暮らす竹内美和子(52歳)は、実母の竹内多恵(84歳、アルツハイマー型認知症、要介護3)と二世帯住宅で暮らしている。多恵は夕方になると決まって落ち着きを失い、玄関のあたりをうろうろしながら「家に帰らなきゃ」と繰り返すようになった。いわゆる「夕暮れ症候群」だと、かかりつけ医からは説明を受けていた。
美和子は最初、多恵をなだめようと「ここが家だよ」と何度も説明していたが、言えば言うほど多恵は不安げな表情になり、時には美和子の腕を振り払って玄関のドアに手をかけることもあった。仕事から帰った夫が代わろうとしても状況は変わらず、夕方の1〜2時間が家族全員にとって重苦しい時間になっていた。
デイサービスの担当スタッフに相談すると、「施設では音楽療法と回想法のプログラムを取り入れています。ご自宅でも一部は真似できますよ」と提案された。多恵が昔よく歌っていた童謡や歌謡曲を美和子がスマートフォンで流してみると、最初はぼんやり聞いていた多恵の表情が少しずつやわらぎ、口ずさむ仕草も見られるようになった。さらに、若い頃の写真をアルバムから出してきて「これはお母さんが二十歳のころ」と一緒に眺める時間を作ると、玄関へ向かおうとする回数が目に見えて減っていった。
作業療法士からは「音楽や思い出の写真がすべての不安を消すわけではありません。でも、不安から気持ちをそらし、心地よい感覚に置き換える手段として役立つことが多いですよ」と説明を受けた。あわせて、ラベンダーの香りを寝室に取り入れてみたところ、夜間の入眠までの時間が少し短くなった気もする、と美和子は感じている。ただし本人の好みではない香りを試したときは逆に落ち着かなくなった経験もあり、「万能ではない」ことも実感したという。
半年が経ち、夕方のうろうろ自体は完全にはなくならなかったものの、音楽と写真で気持ちが切り替わるまでの時間が以前より短くなった。美和子は「劇的に治るわけではないけれど、母が穏やかに過ごせる時間が確実に増えた」と話す。
夫や息子夫婦にも同じ方法を共有したことで、「多恵さんが不安そうなときはまずこの曲」という家族内の暗黙のルールができた。誰が対応しても同じ手順を踏めるようになったことで、美和子ひとりが背負っていた夕方の重苦しさも、家族全体で分かち合えるものに変わっていったという。
brain なぜ非薬物療法が効くと考えられているのか
感情の記憶は比較的保たれやすい → アルツハイマー型認知症では新しい出来事の記憶は失われやすい一方、音楽や香りに結びついた感情の記憶は比較的長く残りやすいと考えられています。慣れ親しんだ曲や匂いが、言葉での説明よりもスムーズに心地よさや安心感を呼び起こす可能性があります[1]。
過去の記憶へのアクセスを助ける → 回想法は、若い頃の写真や道具を手がかりに過去の出来事を語ってもらう技法です。長期記憶は比較的保たれやすいため、昔の話をすることで自己肯定感や落ち着きが得られやすいと報告されています。
自律神経系への働きかけ → 好みの音楽や香りには、心拍や呼吸を落ち着かせる方向に自律神経を整える作用があると考えられています。ただし個人差が大きく、すべての人・すべての場面で同じ効果が出るわけではありません。
「言葉」を介さないコミュニケーション経路になる → 認知症が進行すると、言葉での説明や説得は理解されにくくなっていきます。一方、音楽に合わせて手を動かす、香りを一緒に感じる、写真を指さすといった非言語的なやり取りは、言葉の理解力が落ちても比較的成立しやすいと考えられています。家族にとっても、「話が通じない」ではなく「一緒に何かを感じる」という関わり方の選択肢が増える点にも意味があります。
lightbulb 実践ポイント[^2]
音楽療法・家庭でできる工夫 → 本人が10代〜30代の頃によく聴いていた曲を選ぶと反応が良いことが多いとされます。テンポの速い曲は活動を促す方向に、ゆったりした曲は鎮静する方向に使い分けるのがコツです。
音楽療法・専門施設で受けられるもの → デイサービスや病院で行われる音楽療法は、音楽療法士が本人の状態を評価しながら、歌唱・楽器演奏・リズム運動などを組み合わせて実施します。家庭での「曲を流すだけ」の関わりよりも、双方向のやり取りを含む点が異なります。
回想法・家庭でできる工夫 → 昔のアルバム、当時よく使っていた道具、思い出の場所の写真などを用意し、「これは何ですか」と問い詰める形ではなく、「これ懐かしいね」と一緒に眺める姿勢で行います。
回想法・専門施設で受けられるもの → グループ回想法では、同世代の参加者同士で昔の生活道具や行事の話題を共有し合います。他者との会話が刺激になり、家庭内の一対一の関わりとは違う効果が期待されることがあります。
アロマ(香り)を使う工夫 → ラベンダーは鎮静系、レモンやオレンジ系の柑橘は覚醒系として紹介されることが多いですが、香りの好みには強い個人差があります。本人が若い頃から親しんでいた香りかどうかも重要な手がかりになります。
組み合わせて使う → 音楽をかけながら昔の写真を眺める、香りのよい入浴剤を使いながら思い出話をするなど、複数の技法を組み合わせると相乗的に落ち着きやすくなる場合があります。
記録をつける → どの曲・どの香り・どの話題のときに落ち着きやすかったかを簡単にメモしておくと、家族間で対応を共有しやすくなり、デイサービスのスタッフとの情報共有にも役立ちます。
タイミングを見極める → 興奮や混乱がすでに強く出ているときに新しい曲や香りを試しても、うまく届かないことがあります。夕暮れ症候群のように症状が出やすい時間帯が分かっている場合は、症状が強くなる「前」に音楽をかけ始める、香りを漂わせておくなど、先回りして始めるほうがうまくいきやすい傾向があります。
alert よくある失敗・NG対応
すぐに劇的な効果を期待してしまう → 非薬物療法は症状を根本から消す治療ではなく、不安や興奮をやわらげる手段のひとつです。1回試して変化がなくても「効果がない」と決めつけず、複数回・複数の方法を試すことが大切です。
本人の好みを無視して選んでしまう → 家族が「良かれ」と思って選んだ曲や香りが、本人にとってはなじみのないものであったり、逆に不快な記憶と結びついていたりすることがあります。可能な範囲で本人の若い頃の好みを確認してから選びましょう。
回想法で昔のつらい記憶を掘り起こしてしまう → 質問の仕方によっては、家族を亡くした経験や苦労した時期の記憶を呼び起こし、かえって気分が落ち込むことがあります。本人の反応を見ながら、つらそうな様子があれば話題を切り替えましょう。
香りを本人の許可なく強くかけすぎる → 認知症の人は好みを言葉でうまく伝えられないことがあります。香りが強すぎたり、体調によっては頭痛や不快感につながる場合もあるため、様子を見ながら控えめな量から始めます。
非薬物療法だけで抱え込み、専門施設との違いも混同してしまう → 症状が強い場合や家族の安全が脅かされる状況では、非薬物療法だけに固執せず早めに主治医やケアマネジャーに相談することが大切です。また、デイサービスなどで行われる音楽療法・回想法は専門職が評価と記録を重ねながら実施する体系的な介入であり、家庭で曲を流したり写真を眺めたりする関わりが同じ効果を保証するわけではありません。非薬物療法と薬物療法、家庭での工夫と専門的なプログラムは、どちらか一方を選ぶものではなく状況に応じて組み合わせて考えるものだと捉えておくと、家族自身の負担も軽くなります[3]。
非薬物療法を試すときのチェックリスト
美和子は「母の全部を治せるわけじゃないと分かってからのほうが、気楽に色々な曲や写真を試せるようになった」と話す。小さな工夫の積み重ねが、母と過ごす夕方の時間を少しずつ変えていったという。
関連コンテンツ
[1]: 日本神経学会「認知症疾患診療ガイドライン2017」— BPSDへの非薬物療法に関する記載
[2]: NICE guideline NG97 "Dementia: assessment, management and support" (2018) — 非薬物的介入(音楽療法・回想法を含む)に関する推奨
[3]: 厚生労働科学研究班「かかりつけ医のためのBPSDに対応する向精神薬使用ガイドライン(第2版)」(2016年)— 薬物療法に先立つ非薬物的介入の位置づけについて
関連する基礎知識
関連する介護の相談事例
関連する介護のヒント
関連記事
認知症の妄想(物盗られ妄想など)——なぜ起きるのか、家族の対応ガイド
記憶障害による自己防衛的な解釈から生まれる妄想。正面から否定するほど疑いは強まりやすくなります。物盗られ妄想を中心に、医学的な背景と実践的な対応の工夫を解説します。
認知症の徘徊——なぜ起きるのか、家族の対応ガイド
「目的のない行動」に見えても、本人には切実な理由があります。徘徊が起きる医学的な理由と、安全を守りながら対応する7つの工夫、GPSなどの備えを解説します。
認知症の暴言・暴力——なぜ起きるのか、家族と施設での対応ガイド
「なぜ怒るの」と叱責するほど症状は悪化しやすくなります。暴言・暴力が起きる医学的な理由、今日から実践できる7つの対応の工夫、施設から退所を求められた・受け入れを断られたときの対処法までを詳しく解説します。
BPSDとは──周辺症状が起きる理由・主な種類・医師への相談タイミング
妄想・幻視・うつ・徘徊・暴言・睡眠障害などの「BPSD(行動・心理症状)」がなぜ起きるのかを解説。中核症状との違い・BPSDを増悪させる要因・薬物療法の考え方・医師に相談すべきタイミングまで。
徘徊の「前兆」
徘徊は、本人が「歩きたいから歩く」わけではありません。医学的には、脳が今の状況を整理できなくなり、「外に出る理由」が生まれてしまう行動なのです。だからこそ、前兆は「外に出る準備」ではなく、「脳が混乱しているサイン」として現れます。
コメント
まだコメントはありません。最初のコメントを投稿しましょう。