終末期・看取り期のBPSD——緩和ケアの視点から考える
終末期に差しかかると、BPSDの現れ方は変わります。「治す」から「苦痛を和らげる」への視点の転換と、緩和ケアチームとの向き合い方、家族自身の心の持ち方について考えます。
医療監修
Koba MD, PhD
認知症専門外来・在宅訪問診療に従事
「なぜこんな症状が出るの?」「薬で改善できる?」という専門的な疑問を、医師が直接回答します。お試し相談¥1,000〜。
神奈川県に住む三田村悦子(59歳)は、実母の千代(89歳、アルツハイマー型認知症、要介護5)を看取り期に入った特別養護老人ホームで見守っていた。半年前まで千代は、車椅子に乗って食堂まで移動し、職員の声かけに笑顔で応じるくらいの元気があった。ところがここ数週間で状態は大きく変わった。
食事の時間になると、口を固く閉じて顔をそむける。以前は好物だったプリンを目の前に出しても、スプーンを近づけるだけで手を振り払う。夜になると「痛い、痛い」と繰り返しうめき、まぶたを閉じたまま何度も体をよじる。悦子は最初、「まだ食べる力があるはずなのに、なぜ拒むのだろう」「何か怖いことでもあったのだろうか」と、これまでのBPSD対応の知識を総動員して原因を探そうとした。声のかけ方を変え、好きな音楽を流し、時間帯をずらして食事を勧めてみたが、状況はほとんど変わらなかった。
施設の担当医から「そろそろ緩和ケアチームに入ってもらいましょう」と提案されたとき、悦子は言葉に詰まった。「緩和ケア」という響きに、母の命が終わりに近づいているという事実を突きつけられた気がしたからだ。それでも「今の千代さんにとって一番つらいことを、一緒に減らしていきましょう」という緩和ケア医の言葉に背中を押され、面談に応じることにした。
緩和ケア医とのやり取りで、悦子はいくつかのことを教わった。終末期に近づくと、飲み込む力そのものが衰え、食べ物を口に入れられること自体が本人にとって負担や苦痛になっている場合があること。夜間のうめき声や体をよじる動きは、必ずしも「不安」や「混乱」だけが原因ではなく、体位による圧迫感や、言葉にできない痛みのサインである可能性があること。そして、こうした変化を「なんとかして元に戻す」対象としてではなく、「本人が今どれくらい楽に過ごせているか」を軸に見ていく視点があるということだった。
悦子は看護師と相談し、食事を無理に勧めるのをやめ、本人が少しでも欲しがるタイミングだけ、口当たりの良いゼリーをひとさじずつ試すようにした。体位を細かく変え、痛み止めの使い方についても医師と相談を重ねた。うめき声が減ったわけではなかったが、悦子は「治せない」ことを受け入れながらも、「楽にしてあげる」ためにできることがまだあるのだと気づいていった。ある日、緩和ケアの担当看護師から「悦子さんが来てくれると、千代さんの表情が少し緩みますよ」と言われたとき、悦子は自分がしてきたことの意味を、少しだけ肯定できるような気がした。
それでも悦子の心の中では、迷いが完全に消えたわけではなかった。「もっと食べさせるべきではないか」「まだできることがあるのではないか」という思いは、ふとした瞬間に何度も顔を出した。緩和ケア医は、そのたびに「悦子さんが今悩んでいること自体が、千代さんを大切に思っている証拠です」と伝え、ひとつひとつの判断を一緒に確認する時間を作ってくれた。悦子は次第に、答えのない問いを抱えたまま母のそばにいることも、ケアのひとつの形なのだと考えられるようになっていった。
終末期にBPSDの現れ方が変わる理由
身体機能の低下がBPSDの背景に大きく関わってくる → 終末期には嚥下機能・循環機能・呼吸機能などが全体的に低下していきます。それまで「不安」や「混乱」として現れていた症状が、身体的な苦痛や不快感のサインとして現れるようになることがあります。
症状が「言葉にできない訴え」に変わっていく → 病状が進むと、本人が自分の状態を言葉で説明することが難しくなっていきます。拒食・うめき声・体動の増加は、痛み・呼吸苦・口渇・体位の不快感などを、行動でしか表現できなくなった結果である可能性があります。
それまでの対応がそのまま通用しなくなることがある → 声かけの工夫や環境調整など、これまで効果があった非薬物対応が、終末期には効きにくくなる場合があります。これは対応が間違っていたのではなく、症状の性質そのものが変化してきているためと考えられます。
実践ポイント
「治す」から「和らげる」への視点の切り替えを意識する → 終末期のBPSDは、原因を取り除いて完全に解消することを目指すのではなく、本人が少しでも穏やかに過ごせる時間を増やすことを目標にする段階に入っていきます。
無理に食べさせない選択も、ひとつのケアであると捉える → 食事量が減ることや拒食は、終末期に自然な経過として起こりうることがあります。「食べさせなければ」という焦りよりも、本人が苦しくない範囲で口にできるものを、無理のないペースで試すという考え方が助けになる場合があります。
痛みや不快感のサインを見逃さないようにする → 表情のこわばり、うめき声、体をよじる動き、呼吸の変化などは、痛みや不快感を伝えているサインである可能性があります。気になる変化があれば、我慢させず早めに医療者へ伝えることが大切です。
緩和ケアチームや在宅医と早めにつながっておく → 終末期の症状に対応してきた経験を持つ緩和ケアの専門職に相談することで、痛みのコントロールや症状の受け止め方について、具体的な助言を得られることがあります。
「何もできていない」と感じても、そばにいること自体に意味があると考える → 症状を止められないことに無力感を覚える家族は少なくありません。それでも声をかける、手を握る、そばで過ごすといった関わりが、本人の安心につながっている可能性があります。
家族自身の心と体を休める時間も意図的に確保する → 看取り期は先の見えない緊張が続きやすい時期です。交代で付き添う、短時間でも席を外す、信頼できる人に気持ちを話すなど、自分を労わる工夫も欠かさないようにしましょう。
今のうちに、本人の意思や大切にしてきたことを振り返っておく → 会話が難しくなっていても、これまで本人が大切にしてきた価値観や、以前語っていた希望を家族間で共有しておくことが、今後の判断の助けになる場合があります。
複数の家族で情報と気持ちを分かち合っておく → ひとりの家族だけが病状の説明を受け、判断を背負う状況が続くと、精神的な負担が大きくなりやすくなります。きょうだいや親族と定期的に状況を共有し、判断の責任をひとりで抱え込まない体制を作っておくことも助けになります。
よくある失敗・NG対応
最後まで「治療的に」対応しようとしてしまう → 症状をすべて改善させようと躍起になるあまり、本人の負担になる働きかけを重ねてしまうことがあります。終末期には、改善よりも安楽を優先する場面があることを意識しておくことが助けになります。
本人の意思確認を怠ったまま、家族だけで方針を決めてしまう → 会話が難しい段階であっても、これまでの言動や価値観から本人の意向を推し量る努力(アドバンス・ケア・プランニングの考え方)を、医療者や他の家族と共有しないまま進めてしまうと、あとになって迷いが残りやすくなります。
「食べない=諦め」と捉えて無理に食事を続けさせてしまう → 摂食嚥下機能が低下している段階で無理に食べさせると、誤嚥や窒息のリスクが高まる可能性があります。食べないことをすぐに「諦め」と結びつけず、医療者に相談しながら方針を考えることが大切です。
症状の変化を「"ひと"が変わった」と誤解してしまう → 終末期の不穏やうめきを、本人の人格や意思の変化と捉えてしまうと、家族の心理的な負担が増しやすくなります。多くの場合、身体状態の変化に伴う症状であることを知っておくと、受け止め方が変わることがあります。
緩和ケアの相談を「もう終わりだと決めつけられるようで怖い」と避けてしまう → 緩和ケアは「治療をあきらめること」ではなく、本人の苦痛を和らげるための積極的な関わりです。早めに相談することで、痛みや不快感への対応の選択肢が広がる場合があります。
終末期のBPSDに向き合うためのチェックリスト
悦子は「母の症状を止められないことに、最初はとても無力感を覚えた。でも、和らげるためにできることはまだあると知って、少し楽になった」と振り返る。
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[1]: 日本神経学会「認知症疾患診療ガイドライン2017」
[2]: 日本老年医学会「高齢者ケアの意思決定プロセスに関するガイドライン」(2012年)
[3]: van der Steen JT, et al. "White paper defining optimal palliative care in older people with dementia: a Delphi study and recommendations from the European Association for Palliative Care" (Palliative Medicine, 2014)
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